按摩マッサージ指圧師(国家資格)25年
三宅 淳之
昭和44年岡山県井原市(旧後月郡)芳井町に生まれる。
自然に恵まれた地方の田舎に会社員の父と看護師の母、祖父母、姉と共に暮らしていました。
子供の頃、入退院を繰り返していた祖父と内職でミシンの仕事をしていた祖母の体を揉んだときに、最高の笑顔で喜ばれたことが原体験として今でも鮮明に残っています。
中学から剣道を始め、高校2年生から千葉県にあった警視庁の小川忠太郎先生の道場に夜行列車に乗り頻繁に通うようになり、そこの道場で初めてカイロプラクターに出会いました。
漠然とですがその時初めて体を調整することで人に喜ばれる職業への尊敬の感情が芽生えました。
母親が勤務する病院にマッサージ師がいたため高校卒業後の進路はマッサージ師を目指そうかとも思いましたが、雑誌で某野球選手が「歯の噛み合わせを調節することで引退を考えるほどの腰痛が消えた」という記事を読んだことで、マッサージ師と歯科技工士のどちらを生業にしようかと悩んだ末、共々手先が器用だった事もあり、大阪の歯科技工士専門学校に進学しました。
ただ専門学校に入学してすぐに、マスクも使用せずアスベストを日常的に使用する環境に違和感を感じていたので卒業後、歯科技工士として就職はしたものの将来への強い不安感を抱いました。
そういった不安感が強い中でも武道への関心はあったので、稽古は続けていました。
さまざまな武道の道場生とのご縁をいただく中で、あんまマッサージ指圧師、鍼灸師、カイロプラクター、柔道整復師、整体師、さらに食養生のマクロビアン、異業種交流会主催者などとのご縁に恵まれ当初目指していた、あんま・マッサージ指圧師の国家資格取得を目指して京都の仏眼鍼灸理療学科に入学しました。
私が27歳のときです。入学後は介護施設、病院、指圧院のアルバイトを掛け持ちし、日曜日は講習会に参加するという毎日でした。
卒業間近になった頃、講習会の講師で専門学校の先輩から「一緒に訪問マッサージの仕事をしないか?」と声をかけていただき、それ以来今日まで京都市伏見区で訪問専門のマッサージとして活動しております。
実費で健康な方へのマッサージ等も行いつつ、医療保険を使用してご病気などで歩行が困難な方へのマッサージ等機能訓練をしている毎日です。
以前担当していた方が亡くなられた時、ご家族様から「介護って大変なものだと思っていましたが、本当に楽しかったです!」と泣きながら言われたことがあるのですが、患者さまだけでなく、そのご家族さまにも喜ばれるような施術を目指して日々精進しております。
たくさんの患者さんとの出会いの中で体の状態が良くないと、心も不安定になりがちなケースは、よく見聞きします。
心を整えようと努力して、中々上手く望む結果が得られなければ、体からアプローチしてみると良い、これは長年マッサージ師を生業としてきた結論の一つです。
これからもたくさん失敗すると思います。たくさん立ち止まると思います。
それでも、この道を真っ直ぐに進みたいと思います。
その経験の先に私自身が「あの時の祖母のような笑顔」になれると思っているからです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
感謝。